趣味のこととかだらだらと書いていきます。人の金で寿司が食べたい。
2020年5月15日
腹か、首か
おもいなやみ、尽きることを知らず……。
自分が招いた禍根が、周りに助けられて好転したり、見て見ぬふりでアウトでチェンジになるのを見るたびに、もはや自分に失望するのも飽きてきたところです。
人がみな私をセンスだユーモアだとほめそやしても、私につくれるのは見掛け倒しのハリボテだけ。何をするにも地力が足りないなあ、って毎回おもってます。
https://kakuyomu.jp/users/eri_mizuno
とりあえずアカウントを作ったのが昨年の一月。
ぼちぼち(かなりのスローペースではあるけど)更新できてて、何も浮かばない時や書きたいことがうまく表現できない時こそあるけれど、自分の頭の中だけにあることが少しずつ形になってく創作特有の陶酔の、その少しを日々感じています。
それはすごく幸せなことで、最近やや更新ペースやデスクに向き合う時間も増えていることだし、順当に力をつけながら頑張っていけたらいいなと思ってはいるのですが。
諦めずに前向きでいれば、自分のペースで進んでいけば。それでなんとかなるとも正直思えないんです。それは頑張りすぎている人にかける言葉で、私向けではない。
「十分すぎるほど休んだ」とはだいぶ前に言った。
何をするにせよ、何と擦れ合うにせよ、何を身にまとうにせよ、相応の覚悟と責任をもって臨まなければならないです。これからは猶更。
私が誰かにとって何者かであるために、あり続けるために。朝日を浴び、さわやかな風を切り、体裁の上では優雅に自傷(創作の比喩です、痛いのはキライなんで、ほんとにはやんないですよ。これまでもこれからも)していきたいとおもいます。おもいました。
精査しない文章を投げるのは久々です。
このまま更新して朝(昼過ぎだろうけど)、これを読み返して、何を言っていたんだろうと冷笑することになるだろうし、日々を経てこんなのどうでもよくなると思うけど、そんな勢いの言葉の中にこそ“鋭利”はあると思うし(これは今のテンションですら既にかなり恥ずかしい)、その切創こそが人を狂わせるものだと思う。
いま言葉の切っ先は自分に向けられていて、その返り血を誰かが浴びるかもしれない……。いや浴びてくれ……! と自分のマネキンを最前席に据えながら考えているところです。
腹括ります。っていう、自戒です。
まずはカクヨムのほう、最新話の更新。それからSwitchのゲームいくつか紹介するやつを書きます。どっちも頭の中で思い描けてはいるので。
それでは。
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